おはコンニチばんは。ベーコです。
SNSなどを見ていると、「あぁ、私も何かしなくちゃ!」と焦る気持ちになる時ってありませんか?
- バカンスを楽しむ投稿を見たら、「私もどこか旅行に行かなくちゃ!」
- ダイエットでスリムになった人を見たら、「私も痩せて綺麗にならなくちゃ!」
- 副業で会社員の月収を超えた投稿を見たら、「私も副業始めなくちゃ!」
- 周りの友人が結婚や出産をしたら、「私も結婚しなくちゃ!」
その気持ち、よく分かります。私もキラキラした投稿を見ると、自分だけが置いていかれたような気がして、すごく焦ってしまっていました。
でも、ちょっと待って!
その願望って、本当に「あなた自身の望み」ですか??
スマホに脳を騙されていませんか?
周りと比べることで成長できる、という側面もあります。でも、あなたが本当に望んでいるのは、その画面の向こうの人がしていることと同じことでしょうか?
インターネットが普及して周りと繋がりやすくなった反面、「自分自身と繋がれていない人」が多くなった気がします。周りを見ている時間は、自分を見ていない時間です。
自分が本当にやりたいこと、したくないこと。それを感じる部分は、実は「体の反応」が一番わかりやすいはずです。
それなのに、スマホばかり見ている現代の私たちは、入ってくる情報によって脳がやたらと騙されてしまっています。
「今、行動を起こさないと将来ダメになってしまう……」
そんな焦りをスマホからどんどん吸収して、焦燥感ばかりが強くなる。結果、何から手をつけていいか分からなくなり、「〇〇セミナーに参加すれば、きっと何か変わるはず!」と、申し込みボタンをポチッと押してしまうのです。
(※決してセミナー自体を否定するわけではありません。ただ、自分側の準備ができていない状態で参加しても、劇的な変化は起きにくいなと感じるのです。)
「自分の望み」と「勘違いの望み」の見分け方
こんな経験、ありませんか?
- 誰かの旅行写真を見て行ったけれど、思っていたのと違って疲れだけが残った。
- 副業の成功体験を読んで焦ってセミナーに参加したけれど、結局何も行動できていない。
- 誰かのダイエット成功を見て始めたけれど、すぐに挫折しちゃった。
- 周りが結婚し始めて焦って婚活を始めたけれど、マッチングさえしなくて落ち込む。
これは、自分の本当の望みが確定していないのに、周りの空気に流されて走り出してしまったため、息切れしている状況です。
ここで重要なのは、「自分の望みと勘違いして始めている行動」には、どうしても無理な『努力』が伴うということです。
ここで、少し面白いお話を。言葉の意味辞典によると、「努力」という漢字にはこんな原義があるそうです。
「努力」の「努」という字は、もともと「奴隷」の「奴」から派生しています。「奴」は「女」と「又(手)」が組み合わさり、「手で捕らえられた女」を意味していました。そこから「しもべ、めしつかい」を指すようになり、さらに「努」として「つとめる」という意味が生まれました。
「力」は文字通り力を尽くすことを表し、合わせて「めしつかいが力仕事に励む」という原義から、現代の「目標に向かって力を尽くす」という意味へと発展しました。
つまり、漢字の成り立ちから見ても、努力とは「苦しさを伴う行動」と捉えることができます。
逆に、それが(自覚・無自覚に関わらず)「自分の本当の望み」である場合の行動には、不思議と心地よさが伴います。行動そのものに辛さがないのです。
高額セミナーをポチる前に
何か新しいことを始めようとしている、そこのあなた。
その目標は、本当にあなたが心から望んでいることでしょうか?
高額なセミナーに申し込んでしまう前に、ぜひ一度立ち止まって、自分の胸に手を当てて考えてみてほしいです。
次回は、「自分の本当の望みの見つけ方」をご紹介します。


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